やわらか金融道

オタクブログとオフ情報

変わった世界と、オタクごと。

すでにホリデーの方も、そうではない方も、何とかお過ごしのことと思います。ちなみにわたしはホリデーにはまだ辿り着いていません。

こんにちは、犬飼です。オタクで、文字を眺めるのと、音楽を聴くのが好きです。

本記事ははとさん(@810ibara)ご主催の「#ぽっぽアドベント」12月24日エントリー記事です。25日まで毎日3人の方の記事が投稿されていく、とっても楽しいアドベント企画です。

adventar.org

こちら、今日の担当はг ∪ ⊂ оさん!

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2本目、本日の担当は君山さん!

adventar.org

3本目の担当が、わたくし犬飼というわけです。

去年は毎日しずかに楽しく読んでおりまして、布団の中で大変慰められていたのですが、今年はえいやっと参加申請させていただきました。
すてきな皆さんの中に並ぶことができてとっても光栄です。
小学生のころ、表彰を受けるために朝礼台の後ろに並ばされた時のような、照れくさく誇らしい気持ちです。

 今回のぽっぽアドベント、テーマは「変わった/変わらなかったこと」とのことです。

2020年は、わたしと近しい形で、あるいはもっと大きく、みなさんそれぞれが変化を余儀なくされた年だったのではないでしょうか。COVID-19による“パンデミック”、その対応策がいったいぜんたいどうだったのかよということについては、それだけでもう、相応の時間と体力と熱意を持って語らざるを得ないので、具体的な指摘をすることから逃げます。誠意なしで申し訳ない……しかしそれでも冒頭でわざわざ触れざるを得ないほど、”それら”はわたしたちをそもそもの地面からゆり動かしました。変わらなかったことなんてない!とか言いきってしまいたいくらい。いや、まだ結論付けることすらできないほど、渦の中にいる実感です。

くわえて、わたし個人にもちらほらと「変わったこと」がありました。昨年度とは社会的な立場・肩書きが変わってしまったこと、心療内科に通い始め、投薬治療を受け始めたことなどは、あとにもすこし触れることとなりますが、目に見えて大きな変化でした。かなり額の大きな買い物をしたり、親族の揉めごとがあったり、逆にわだかまりが少しほぐれたり……。まあ、全くなんにも変わらないで365日過ごすことなんてないのですが、「今年はいろいろ変わった年だったな」と、例年通り、年の暮れに振り返っている次第です。

ところで、オタクとしてのわたしは依然変わりありません。むしろ生活のいくつかの変化のせいで、「変わらないもの」に固執しているような節さえあります。心の軸をフィクションに置いて正気を保っているため、生活がガタガタになると安定した物語でバランスを取ろうとするんですね。「生殺与奪の権を他人に握らせるな」がそれはもう流行りましたけど、私の生殺与奪の権はもう長いことフィクションががっちり握って離してくれません。

さてじゃあ今は誰に握らせているのか、というと、昨年のちょうど今頃出会った、『メギド72』というスマホゲームに一任しています。 

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メギド72のキャプチャです。めちゃくちゃかわいいですね。

この出会いも運命的でして。
わたしがメギド72をインストールしたのはクリスマスの夜でした。先述したとおり、春からのご身分がどうなっちまうかわからんプレッシャーの中、人のいない知らんビルのトイレでふとインストールしてみたのです。結果としてこのゲームは、年明けからの狂ったスケジュールと不安、政府不信からくる社会への絶望感、春以降の新しい場で放り出された宙ぶらりんな気持ちをほんとうにほんとうに助けてくれました。
そしてその救いについて、こうして10,000文字(!)超えるような文章を書くことができている。クリスマス前に。すべてあるべくして動いているような、そんな気がします。

ここからは世界観やゲーム概要の説明、しばらく、いわゆる「布教」が続くので、「もう知ってるよ!」というみなさまはパーっと飛ばしていただいて構いません。

▲▽▲

メギド72はスマホゲーム。「絶望を希望に変えるRPG」をジャンルとして公称しています。

主人公は「ソロモン王」として、「メギド」と呼ばれるキャラクター達を使役します。この「メギド」たちはゴエティア由来のあの72柱を中心に、いろいろな神話伝承の悪魔たちの名を冠しています。
世界観についてあまりまとまった公式説明がないので、2018年のちょっと古いものを引用しておきます。

 物語の舞台は臨界ヴァイガルド。万物のエネルギーフォトンに恵まれ、この地の民ヴィータは平和に暮らしていた。
しかし、かつてこの世界は巨大な力を持つ輝界ハルマニアと宵界メギドラルの大戦争の舞台となり、崩壊寸前にまで追い込まれてしまった。
その過ちを繰り返さないため設立された休戦協定「護界憲章」が生み出す力は、双方の世界ともヴァイガルドへ侵入することを厳しく制限した。
さらにそれをヴァイガルドの中から監視し守らせるため、非力なヴィータ異世界の者を使役できる指輪が作られた。そしてメギドを使役できる者ソロモン、ハルマを使役できる者シバにそれぞれ指輪が与えられた。

その後ヴァイガルドの地は千年の平和な時を過ごした。シバの役目は代々女王の称号とともに受け継がれ、王都エルプシャフトは繁栄した。
しかしソロモンの王都ペルペトゥムは、いつしか謎の崩壊の末に指輪を受け継ぐ者も姿を消し、人々の記憶からも消え去っていた。 

そんな中、王都周辺の村々が幻獣に襲われ、人々の間に恐怖が蔓延った。
全身に謎の模様と家伝の指輪をもつ主人公も幻獣に襲われ、出会った旅人に助けてもらうことになる。

彼らはメギド。メギドラルが企むヴァイガルド侵攻、そしてハルマとの最終戦争「ハルマゲドン」に反対したため、ヴァイガルドへと追放されていた。
自分にフォトンを見る力、そしてメギドの能力を引き出す力があることを知った主人公は、この世界を滅ぼすハルマゲドンを阻止すべく、ソロモンとして彼らと行動することとなる。

これからのメギド!7月以降の企画を紹介!!「改めて世界観説明」より一部抜粋

https://megido72-portal.com/entry/from-now-on-20180702

ざっくりいうと、対立する二つの世界、に隣り合わせた“臨界”である「ヴァイガルド」を舞台に、不思議な指輪の力でなんとか戦争止めるぞ!というお話です。ひとまずのところ、主人公が魔法のアイテムで無双する異世界戦記譚だと思ってもらって構いません。もっとも主人公はそういった野心や開拓心にあふれたタイプではないのですが。

メギド72の特異なのは、キャラクターたちが召喚されてくれる理由です。
キャラクター個々の理由についてはそれはもうプレイして出会っていただくほかないのですが、初期に実装されたメギドたちは、実はみなが転生を経験しています。ヴィータ(人)の胎から生まれ、どうにか育ってその年齢になっています。なぜ転生しているのかと言われれば……それはもうプレイして出会っていただくほかないのですが(2回目)、ざっくりいえば故郷であるメギドラルを追われたからです。
転生、というか、魂のままポイっと異世界に追放された(だいたい)72人。彼らは故郷を守るために……あるいは自らを追放したメギドラルと一戦構えるために、主人公に協力します。
加えて、メギドラルにいるよりヴァイガルドにいるほうが都合がいい!という理由で仲間になる追加キャラ、もろもろ合わせて127人(2020年11月時点)。彼らと力を合わせて、世界をどうにか救っていくことになります。

▲▽▲

 「変わったこと/変わらなかったこと」というテーマを受けて、メギド72について書こうと思ったのはなぜかといわれれば、なによりこのゲームが、誰かがなにかと出会い、変わっていくことを描いた作品であるからです。

このテーマは参加者自身の変化について書くことを想定して設けられたものだと思います。だからこの理由付けはちょっと(かなり)ズルでしょうが、メギドについて触れずにわたしの変化を語るのは難しいし、メギドについて触れるなら、テーマとリンクした部分をはじめにお話ししたほうが、なぜどうしてわたしが「変わった」と感じたのかわかってもらえるかな、ということで。
ゲームを始めるとすぐに仲間になる、いわゆる「初期メン」であるところのバルバトスを例に挙げます。

f:id:yawaraka-kinyuhttps://blog.hatena.ne.jp/yawaraka-kinyudo/yawaraka-kinyudo.hatenablog.com/edit?entry=26006613659941532#sourcedo:20201203231741p:plain

さすらいの吟遊詩人・バルバトス

(以下Rバルバトスのキャラストのネタバレを含みます。)

彼がなぜメギドラルから追放されたのか。ざっくりいうと、彼が趣味にかまけて、あるべき姿から大きく外れたからです。
あるべき姿とは戦争強者、趣味とは音楽・芸術です。 

メギドラルは弱肉強食の戦争社会。資源も土地も発言権も、戦争で勝ったほうが得られる世界です。バルバトスはその世界において武勲を立て、『幻惑の嵐』という二つ名をつけられて、かなりいい線まで行ったメギドでした。
ただその二つ名の『幻惑』に実はトリックがありました。彼の軍団は、戦場にふと流れる不思議な音に相手がつられている瞬間を突き、どこからともなく敵を一掃していたのです。

怒ったのはこの不思議な音の主です。彼女(?)はバルバトスの仲間ではなく、協力関係をむすんでいたのでもありません。好きで音を鳴らしていたそばから戦争が起きる。自身の芸術が勝手に戦争に利用されることが我慢ならないといいます。
戦争に明け暮れていたバルバトスや仲間たちは、法則的に音を出し、感情を表現することが「音楽」という芸術なのを知りません。でも勝利のためにはその音が必要なのです。「音楽」に聞き惚れて敵が警戒を緩める、その一瞬が戦術の要なのでした。
そこで彼女が言い出します。

あんたが楽器を覚えて、自分で演奏したら?

わたしは、私の意図しない形で、私の芸術を利用されるのが、殺したくなるほど嫌なだけ

なんでダメなの?芸術を始めるのに許可なんかいらないわよ

それもそうかと納得したバルバトスは、戦争が休止の期間を利用して、彼女の手引きで音楽を始めることにしました。楽器を鳴らしたり、物語を紡いだりしているうち、バルバトスは「世界を俯瞰する」ことや「今この瞬間を表現し、後世に残す」ことに強く惹かれるようになっていきます。それに伴って、戦争でしか名を残すことのできないメギドラルの価値観に違和感を覚えるようになります。
彼は彼の軍団と決別し、楽器を吹き鳴らし、詩を語りながら気まぐれに暮らすようになり、その末に追放されました。現在は転生して、主人公(ソロモン)とともに戦っています。ハルマゲドンを止めるため、かつての故郷であるメギドラルに牙を剝いて、です。

世界が変わったと感じたとき、本当に変わったのは自分自身である、ということは往々にしてあります。バルバトスは音楽・芸術との出会いで、新たな目を手に入れました。その視点を無数に増やすことが、世界を広げるすべなのではないでしょうか。

このような視点を増やす経験、感情移入の体験を「エンパシー」体験と呼ぶことがあります。メギド72で描かれる出会いは多くが「エンパシー」の体験であると言えます。

同情や共感を指す非常に近い言葉として元々「sympathy」と「empathy」があります。前者はカタカナ語で割と昔から日本にも普及しているでしょうが、後者を「エンパシー」として広く聞くようになったのはかなり最近だと体感しています。
この言葉の普及のきっかけとなったのはおそらくブレイディみかこ著『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』かと思います。この本に対するわたしの気持ちは少々複雑なのですが、試し読みのリンクを貼っておきます。

www.shinchosha.co.jp

この本によれば「エンパシー」というのは、単なる同情、「お悔み」でしかない「シンパシー」と差別化された、気持ちの寄せ方……とのことです。ブレイディみかこの息子がテストに書いた(らしい)ところによると、「empathy = put yourself in someone's shoes」。単にその人の気持ちを考えるだけではなく、環境や背景から、その人に移入して気持ちや考えを再現してみることを指します。

そういった意味で、メギド72における出会いの多くは「エンパシー体験」です。新たな靴に足を通して歩いてみること。そうして会得した視点はどんなものだったとしても世界を広げる「手」になります。

バルバトスにとって、音楽との出会いはきっとそうした体験の一つだったのだと思います。すべての芸術を愛する者の一人として、芸術との邂逅をそれだけの重大さをもって描いてくれたこのシナリオは、かけがえのない宝物です。

メギド72の好きなところのひとつに、芸術についての取り扱いがあります。例えば、バルバトスは(メギドラルでの)晩年、音楽にかまけて戦争=社会的義務をなさない変わり者扱いされていたわけですが、その噂が後々みずから音楽にたどり着いたメギドの希望になったり……芸術を嗜むメギドたちが、牢獄の壁越しにお互いを慰めあい、いつか顔を見て話す日を夢見ていたり……。

今年は演劇もコンサートもなにもかも、芸術活動は総じて壁に囲まれるような一年でした。災害を前にして娯楽はどうしても立場が弱いです。いくつものギャラリーライブハウスが潰れ、何人も好きな作家から筆を休める旨の発表を聞きました。二次創作同人の市場もぐっと小さくなってしまいました。これも今年の「変わったこと」ですね。本当にやるせなくさみしいことです。

でも生きてさえいれば大丈夫だ、と今のわたしは思っています。
先述の「芸術を嗜んで禁錮刑になったメギドたち」、彼らは自分たちを“アルテ・アウローラ”と名付けました。アルテ・アウローラのひとり・サタナイルは、あるとき冷たい牢獄から解放されます。他のメンバーもそれぞれ一人一人、連れ出されることとなります。その条件は、定められた任務に従事することと、芸術を捨てること。
サタナイルはその条件を飲みました。生き延びて、それぞれのなかに芸術がある、その状態が最善であると考えたからです。同志たちもきっと同じように考える、それを信じて。証明するように、アルテ・アウローラのメンバーは、主人公(ソロモン)の元で再会することになります。

このところ、『ユリ熊嵐』の最終話の紅羽のセリフ、「スキを忘れなければいつだってひとりじゃない。スキを諦めなければなにかを失っても透明にはならない」を思い出します。好きなものに突き動かされてモガモガあがくのは苦しいながらも幸せだけど、そうもいかない凪の時もあるということを、わたしはここ数年つくづく実感しているのですが、それでも大丈夫だなと思える魔法の呪文だよね。

そういった意味では、「スキ」であることはけして状況の甘受や思考停止の全肯定、社会から自分の気持ちを切り離してお城にこもってしまうことではありません。非常に能動的な行動です。一時退避に見えても、大切なものを失っても、「スキ」の実践を続けている間は、自分であるべく動いている時間だから。

でもそれはああただ祈らば救われん、という気持ちではありません。「気持ちを持っていれば自分でいられる」というふわふわした哲学が、必要なところに、必要とされたものが行き渡らない、機能不全な福祉の言い訳になってはいけません。絶対に。
というわけで最近気力のある時はちゃんと各フォームにご意見出すようになりました。あまりにも送らなきゃダメじゃんということの多い一年でした、これも個人的「変わったこと」です。

中央の指揮者がサタナイル、リュートを弾いているのがバルバトスです

話が逸れました。それでは私の好きなキャラクターはいったい誰なのか。ここまで書いておいて、芸術組推しじゃないのかよ!と思われそうですね。まあみんな抱きしめたいキャラクターではあるんですが……好きにもいろいろあります。

例えばグレモリーさんにはときどきうちのぶどう農園を見に来ていただいて、その日のために引っ張り出してきたブローチとかを褒めてもらいたい(グレモリーさんは美しいものが好きなので)。領兵団の兄の口から「今日領主様が訓練見に来る日でさ~……新人のアイツが舐めた口きくもんで、全員震え上がっちゃったよ。まあグレモリー様はそんなんでトサカにくるような小さい方じゃねえけどさ」とか聞きたいし……ひょっとするかもとお屋敷の前でクリスマスの素朴なフルーツケーキをかごの中に持って帰りを待ったりしたい(結局会えずに衛兵に預けて帰る)。

 グレモリーさんをどれだけ愛しているかはこれ読んでください。

yawaraka-kinyudo.hatenablog.com

ほかにもフリアエ様には……アガリアレプトさんとは……シトリー様に……とかいろいろあるのですが、完全にテーマから外れるので泣く泣く省略します。

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左から:グレモリーさん、フリアエ様、シトリー様

ここからが本題みたいなものです。

わたしの2020年をひっかきまわしたキャラクターの名前は、バラムといいます。
「推し」というのは「素敵なんだよ!」と人にも勧める意味を含む言葉なので、「推し」とはとても呼べません。人に勧めたくないし、かっこいいとか素敵だとかかわいいとか思ったことない……顔は……かわいいけど……。

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顔はかわいいです。
言い訳が長くなったのは、好きなのかどうかについてはいまだ審議中だからです……。素直になれないとか、照れくさいとかじゃなくて……なんだかな……。
とりあえずプロフィールでも書いておきます。

 

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祖51・バラム

身長:172センチ

年齢:300歳以上、500歳未満

バラムはメインストーリーでおよそ初めて主人公と“敵対”する追放メギドです。
彼はヴィータに転生してから、「追放メギドは追放メギドとして、必要な連帯を取って生きていくべきだ」という方針の下、時には全体の益にならない追放メギドを闇に葬りながら活動してきました。自称「調停者」。飄々としてつかみどころがないものの、踏み込めばすぐムキになり、つねに相手の上手を取ろうとする、ちょっとひねくれた野心家なのです。

バラムと主人公は22話で出会い、44話で加入することになるのですが……この間が長い長い。この長さはつまり、彼と主人公陣営の目線が合うまでの長さです。 

バラムは特別長い人生のなかで、自分と同じような追放メギドたちが危険視され排除されるのを何度も見てきました。その経験から「追放メギドには後ろ盾が必要だ」と考えています。

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バラムが主人公や(ゲーム内)現行政府に対してこだわるのは、今年は羅小黒戦記(超よかった!)も話題になりましたが、「“特異”でノイジーなマイノリティを“無力”なマジョリティの管理下におく」ということについてです。

主人公(ソロモン)は元々一介の村人で、特別な指輪でメギドたちと契約し、使役することができるようになっています。この使役には強制力が多少なりとも含まれます。(実際、過去の指輪の持ち主は、その強制力で追放メギドをいいように扱っていた、という描写もあります)
ソロモンを王に頂き、そのもとに集う72人のメギドたち……というのは、あくまでヴィータによる介入のない自治権、生まれ変わった世界でのゆるがされない地位を目指しているバラムにとって望まない形なのです。
少ないながらもいくつかソシャゲやってきましたが、キャラが「コミューンを作るんだ♪」とか言い出すのは初めて見たよ。

ではどうして加入に至ったのか、その過程が、メギド72という物語を象徴しています。
主人公はバラム以降戦うことになった追放メギドたちの考えを受けて、この先メギドラルの侵略から世界を防衛していく方法について、軸や武器を模索していきます。仲間の追放メギドたちにもそれぞれ違う追放の経緯があって、違うヴィータ生があって、違う能力があり、立場がある。メギドの初期のCMのキャッチコピーは『悪魔にも、多様性の時代』だったのですが、まさに「多様性」で戦っていくことを考えるようになります。

 

多様性なー……玉虫色の言葉だろと思ってる方も多いんじゃないでしょうか。というかわたしがそうです。母校の校長が何かあるたびに「これからは多様性、そう、diversityの時代です。」とスピーチしながら、やったことは「家庭科室」に「Home economics🍲」のプレートを付け加えたくらいで(それも重要なことではあるんだけど……)、ひねくれた半不登校児のわたしは「ほお~ん、じゃあ多様性の一環として自宅学習させてもらいますわ。」と学校ふけたりしてたわけですが。それはいいんだ。多様性の話です。

 

メギド72というゲームは多様性を体現したゲームです。「多様性」はゲーム内で繰り返し繰り返し使われるキーワードです。

いろんなキャラ見せて射幸心煽って、ガチャにお金落としてもらわなきゃいけないんだから、まあそう指向していくのは商業的にも正しいのですが、わたしはそれだけではないと思っています。

バトルからして1キャラを複数の戦術に起用できるようになっているし、「このキャラがいないとこのステージ勝てない!」ということは基本的になく、ただその代わり、場面に応じて必要な戦術を選んでパーティを組みなおす必要があります。

モーションもすべてが固有で、オーブ(装備品)使用時の動きすら一人一人違います。

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ストーリー中はもちろん、バトル時にも『多様性』という言葉が出てきます。

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主人公が敵対していたバラムをわざわざ仲間に迎えたがったのは、自分と異なる視座を持つ仲間を増やすことで得られる多様性のためだ、とわたしは理解しています。
主人公は差し向っての目標である防衛戦から、長期的な目標としての停戦にこぎつけようと考える中、つまりまさに世界の構造を変えようとする中で、まず自分を変え、自分(たち)のやり方を広げることを選びました。

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バラムは主人公が初めて会敵した「全く異なる方針で動く追放メギド」でした。そのバラムの戦略や考え方を仲間に取り入れることは、まさしく「手」を広げる方法なのです。

バラムのほうも、主人公がただ単に「立場の弱い人々を、守りたい……」とか「みんなと仲間になれるはずだ!」とか考えている押しつけがましい(けどそこが愛すべき)甘ちゃん気質なわけではなく、今後の戦いを見据え、協働できるラインを探して自分を召喚しようとしている、ということを、ある時点から理解したように思います(どこからか、と言われれば……それはプレイして出会っていただくほかないのですが)。

主人公は「異界の力を持つものを従える魔王」としては決してふるまいません。バラムの危惧していた、「勝手に秩序を敷いてくる非当事者」として働くことはないでしょう。協力する追放メギドの多さや、政府との連携状況を見るにしても、協力するのがベターです。

それはそれとしてバラムにもプライドがあります。ソロモン王と指輪なんか抜きでも成立する、追放メギドによる、追放メギドのための、追放メギドの共同体のために何年やってきたんだ、という話です。

というわけでバラムは仲間になるときに暴れます。それはもう大暴れの大ヤケです。加入直前のセリフは豪華フルボイスですが、ほんとうに笑っちゃうぐらいひどい。多分「フルボイス罵倒」とかで調べると出てくるんじゃなかろうかと思いますが、ここは贔屓目抜きにしてもメギド屈指の名シーンです。

それはもう頻繁にネタにされていますが、わたしはあのシーンが大好き。ギャグBGMも入れず、「負け犬がな~んか言ってるぜ(笑)」というテイストでもなく、でも読んでるほうはどうにも笑っちゃう本気の大イチャモン付け。でもあそこで「……わかったよ、約束通り力貸してやるぜ」ってスッとクールにいけないのが、変に矜持があるバラムらしい。

ともあれ主人公の「多様性」を主な武器とした指針は、これ以降より明確なものになっていきます。6章後半は同時並行的に起こる多重襲撃に対抗するストーリーですが、司令塔である主人公(ソロモン)の体は1つしかありませんから、それぞれがい合わせた状況で、そこにいる仲間と協力して、「ただ、そうできるから、する」その積み重ねで、個別に対応していくしかなくなっていきます。ときどき本当に手遅れになりそうになりながらも、個別個人の撒いた種が、プラスの方向に働き、連鎖して正解にたどり着く話です。

 

多様性を主軸とする主人公(ソロモン)の意図、行動指針は、リーダーから軍団員に少しずつ仲間たちにも伝播していきます。もちろんバラムにも。
バラムはメギドラル時代の部下と戦場で会った際、あのころとはずいぶん変わったな!と指摘されて、こう言います。

自分の本質まで変えなくたって、世界には自分とは「違う」やり方がある
それを知ったとき、使える「手」は増える
観察して、増やすんだ
十分な手が増えた暁には、世界なんざ思うがままに変えられる力になるはずだぜ

このセリフを見たとき、ああ、ちゃんと変われるんだと思いました。『ちゃんと』というのは、何百年も貫いてきた自分の芯を曲げないまま、新しいやり方を取り入れることができるんだ、という意味です。これは『観察者』であるバラム自身の言葉であって、主人公の言葉をなぞらされているわけでも、ましてやシナリオ都合でもない。

一生忘れないと思います。加入時にあんだけ大暴れした恥ずかしいやつが、かつての身内にこうまで言ってみせたこと。世界に対する新たな見地がインストールされるとは、多様性の実に指すところはどういうことか、強情なバラムですら気付いたこと。
それはそれとして新しいジャンルのCDの選び方がわかるようになった!と報告するような気軽さで、かつての身内をバッサリ捨てた、その残酷さ……

今年のメギドの日合わせで発表されたキャラソン『変わった世界へ、ひとりごと』の詞はそのあたりを彼らの言葉から語っているのだと思います、が、(バラム役津田さんの言葉を借りると)「めちゃくちゃ恥ずかしいヤツ」すぎて、未だに引きずっています。
バカ……それを愛って呼ぶんだろォ……!

歌詞やインタビューはこちらから読めます。

megido72-portal.com

(12/25追記:ギャラリーサイトで聴けるようになりました!)

lavita.megido72.com

 

↑当時のオタクの狂い様

 

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男と男の感情の板

 ところで振り回された効果として想定外だったのは、身なりについて少し考えるようになったことです。風属性のカラーである緑色を頭に入れたいな~と秋ごろに思い付いたところから、チェーンモチーフのアクセサリーを見るようになって、ようやくピアス開けて、最近はバンダナの代わりにスカーフを見繕っています。

てっぺんからつま先まで総合してどうとか、アウターを脱いだ時のバランスとか、分岐を考えるのがとにかく苦手です。自分の体の形もあまりしっくり来ておらず、今までカットソーにジーンズですべての季節を過ごしてきたんですが、少しずつ好きなやりかたがわかるようになってきました。服を着るのも祈りなんだな~と最近は思っています。

#ぽっぽアドベント でも、一人暮らしを始めた方や、転居した方、新たに何かを買ったり、習慣を作ったりしている方の記事をたくさん拝読しています。わたしにもそういう変化が訪れたことは照れくさく、くすぐったく、楽しいことであって、でも人生ってきっとこういうふうに変遷していくんだろうな、という実感が。
その一端がバ奴(愛称です)だというのが癪ですが。

あとは祈りの一環としてブーケを作りました。バラムは不死なので造花で、マジョラムとオレガノ(なんと、マジョラムの近似種なんだそうです)、ローズマリーがそれを見下ろす形。全然きれいな球形にならなかったし、昔取った華道の理論もガン無視してるし、こんどリベンジします。 

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なぜマジョラムなのかといえば、バラムはマジョラムで、ヒュトギンというキャラがローズマリーだからです。理由はわからなくていいし、そういうものだと思ってください。
マジョラム関連では、100gの乾燥葉を買いました。眠れない時、他の草や種や果物と共に煮出して飲んでいるのですが、その光景を「魔女の料理」と呼ばれています。
「魔女の料理」、とってもおすすめです。食べ物だと「素材をおいしくしなければ……」と気負うことが多いのですが、「魔女の料理」、つまりスープだかお茶だか砂糖煮だか……はそんなにひどい味になることがないのと、主体がない。せいぜい香りの出切った果物をじゅわじゅわ啜るくらいなので、処分に困ることがありません。

ところで冒頭でも触れましたが、今年のわたしの「変わったこと」のひとつ、飲み始めたいくつかの薬について。 診断書にもらった病名はうつですが、現在不眠やてんかんのお薬も併せて処方していただいています。

よくメンタルヘルスSNS界隈では、「薬を飲むことで、自分の感情や思考なんて化学物質のバランスで簡単に決まってしまうんだと気付く」と自嘲的に言われます。私も投薬治療を始めてからとみに実感します。特に、入眠がうまくいかずに、脱力というのか酩酊というのか、タガが外れてしまったとき。それから、昼の日の高い時間に、こうして文章を打っているとき(昼夜が正しい状態は、わたしの人生の中でとてもまれなのです)。 

OPNの『レクサプロの時代の愛』のリンクを貼っておきます。できればフルで聴いてもらえるといいです。レクサプロを飲むと”これ”になります。

最近詞のない“サビ”がバキッと分かれていない曲ばっかり聴いています。小説も論説も頭からケツまで読むよりは、捲ってでてきた言葉をなんとなく眺めていることが多いです。なにかに「酔う」感覚、ムードやフレーバーというのか、パッと言葉で表すのが難しい「状態」みたいなものに身を置くと安心するし、薬を飲み始めてからは特にその傾向が強い。化学物質以外でも、人の状態はいかようにもなってしまうと思いたくて、そういう体験を積もうとしているのかもしれません。 

多分不安なんだと思います。「いまは〇〇で××だから、大丈夫。がんばるぞー!」とやたらツイートしてしまう。大丈夫なのかどうかよくわかってなくて、100回地面を踏みしめている。でもそもそも地面がぐらぐらしてるし、三半規管もめちゃくちゃなんですよね、今……冬だからね……(これはかかりつけの心療内科の先生のパクリです。何かあるたびに「冬だからね」と唱えています。)

上記もしましたが、そもそもわたしは自身の身体性にもしっくり来ておらず、常にぼでぼでの死体を引きずって歩いているような感覚があります。卑屈であまりにも自分勝手な、「あるべきでない形」に生まれてきて”しまった”ような感覚。この辺りもメギド72に惹かれてやまない理由だと思います。
本来あるべき体から魂だけ切り離され、望まない体に転生した追放メギドたち。うつ病で鈍足の自分。重ねるのは非常におこがましい話ですが、彼らが活躍し、自分の身体性に「納得(屈服)」はせずともなんとかやっていき、何かをなすことは、そういう意味でも私にとって大きな希望であるのです。

足元が揺らいだときに読みに行く、大好きな44話、46話、51話、72話、75話、マルコシアスサキュバス、サタナイル、Rバルバトスキャラスト。滅びの刃イベでアガレスの出した答え。

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すべてがわたしの灯台です。このキャラクターたちが架空のものであっても、このセリフを書いたライターが、立ち絵を描いたイラストレーターが、キャラクターデザイナーが、モデラ―が、プランナーが、ディレクターが、プロデューサーが、同じ時代に生きているということそれ自体が、わたしにとって「生きていくということに対する、最も明るい答え」です。
これはハンガン『ギリシャ語の時間』の帯で、本来は少し違う文脈の言葉なのですが、スキを突くのに良いのでずっと使っています。

www.amazon.co.jp

フィクションに狂って踊ることは往々にして現実逃避の誹りを受けますが、メギド72と対峙しているときのわたしは必死です。何か一つでもプレイしている方はご存じかと思いますが、ソシャゲは生き物なのです。
映画や単行本、据え置きゲームのように売り切りでなく、どんどん更新されていくことがあらかじめ見込まれた媒体です。筋を通し、時勢を読んで、ユーザー層をこまめに分析しながら、それでいてもたれきることのない距離感を保つ、というのはなかなか大変なようで、どんなに上手いことやっているゲームでも、その「ジャンルのオタク」に聞くとボロボロ愚痴が溢れてきます。
また単純な話、開発運営に関わる人数が多いため、全体を把握するのが難しいからか、どこかの過ちがうっかりそのままパスしてしまい、後々大きな問題になることもあります。普段運営体制を細かく明かしているわけでもないので、どの過程で起きたミスなのか説明したとしても、ユーザーの中で開発運営チーム丸ごとの心証が下がって終わりです。
加えて提供するのは個人体験です。ライブやミュージカルのように「場」が統一されていません。ユーザーがそのゲームをするのは通学の電車の中なのか、家に帰って寝る前になのか、忙しい昼休憩を縫ってなのか、知る方法がアンケートくらいしかありません。
ユーザーのペルソナを作ったり、現実のそれを把握する方法については、リアルイベントを開催することや、SNSでキャンペーンを行い、その参加アカウント層を分析するなどいろいろあります。しかし他にも注力すべき仕事はあるわけで、労力をどこにどれだけ払うのか、その塩梅が難しい。
ソシャゲ運営にたずさわるみなさまにおかれましてはいつも大変お世話になっております。一・めんどくさいオタクとして心から感謝と尊敬を。
なににせよともかく、「こちらは好きにやったから、そちらも好きにやってくれ」とはいかないのがソーシャルゲームです。いつも更新のたびに信頼を試されているような、キリキリした気持ちになります。

ちょうど一昨日、22日も新節の更新がありました。勢力は渦巻くように動き、どんどん世界の仕組みが明らかになり、物語の筋が一つにかき集められていくような、気持ちのいいストーリーでした。また信頼し続けることができると胸を撫で下ろし、今後の更新も楽しみにしていけそうです。

完結した物語、既にいない人、過去に公開された映画……もう更新されず、自分の一部となった愛するものたちは、何があっても変わらず心の中にいてくれます。しかし、大げさに思われるかもしれませんが、アイドルや連載マンガ、あなたのそばにいる存命の誰かと同じように、ソシャゲも更新され、少しずつ変わっていくものなのです。

そこで取り残されることは苦しいです。倫理的についていけないシナリオや、納得できないモチーフの取り扱いを見て、「文句を言っている」オタクども。それは傍から見ると自分の正当性を主張し、その証明のためにただコンテンツをくさしているだけのように見えるかもしれないけれど、苦しみを整理するための作業として、言語化は一つの選択肢です。そして整理した結果として、決別することもあります。

メギドの6章では、決別と再会が描かれます。とある2人がそれぞれの信念を通さんがため、一度は争い別れたものの、同じ目的のためにまた集い、それ以降は(公式Q&A曰く)「わだかまりをもってい」ない様子だそうです。

このエピソードにもまた救われました。愛するものや、それとの関係性が変わってしまっても、いつかどこかでまた巡り合うことができる。前とは同じようにいかなくとも、いかないからこそ、新たな距離を築くことができる。そうして変わる「間」から広がっていく世界がある。ごく当たり前のことですが、メギドはそうやってごく当たり前のことを私に教え、自立を支え、社会への希望を持たせてくれます。

今年は傷つくことも多い1年でした。心身ともにボロボロで、睡眠導入剤は全然効かないし、夜中に薄い意識でお酒を飲んでしまったり、お風呂の中でギャーッ!と急に叫んだり、もうムチャクチャです。破壊された機会もあるでしょう。その中にはもう取り戻せないものもあります。
だとしても……「かくあるべき」と想定した道から遠く離れて、変わってしまっても、そこでやっていくほかないのです。その場所からルートを、あるいは目的地すら変えて、歩いていくしかない。そしてその道のりには、そこにしかないものがある。
それにどうせ、あるべきほうへ合流していくのです。易学も風水も東洋思想は須くそんなことを言っています。メギドもまたその一つ。

わたしはいま澱のような停滞の中にありますが、それもまたわたしの道であり、なるようにしかならないこと。それは諦めではなく、現実を見据えた事実です。気負うことなく養生し、できるならばメギドがくれた変化をなにかの形で還元できればなと思っています。

 

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さて明日はいよいよ最終日!
♡さんみなみさん、主催のはとさんです。
みなさま、くれぐれもお体お気をつけてお過ごしくださいませ!

Happy Holidays!