やわらか金融道

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「ある黒猫との暮らし方」で何が書きたかったのか、私は何が一体好きなのか

自分が書きたいものがわからなくなってきてしまい、苦しんでいるので、授業の合間にふらりと書いてみる。

「ある黒猫との暮らし方」はフェミニズム女女女女SF小説で、なおかつ、必ず恋仲とは描かない二人の共生で終わる、というゆるやかなプロットをはじめからともなっていた。また、わたし自身がTERF(この言い方はもうすでに古いのだろう)に辟易している頃に作った物語であり、クィアなキャラクターを、その自然のままに出さなければならないと思って、冒頭から登場させた。

物語としては気に入っているが、ただ、なによりバトルシーンの壊滅的な面白くなさが、私がバトルなど好きではないことを物語っている……こんなにバトルばっかりあるゲームにドはまりしているのに……。

ルビという黒猫のキャラクターは、猫なのか人間なのか定めなかったが、人間だ。人間として扱われない、しなやかな存在が、それでも確かに人間であり、そう認められて生活を送るようになるまでを描きたかった。

都織は、すでに人生のピークを越えてしまった人間が、それでも生きていく様を描きたくて作ったキャラクターだった。また、都織も定職についておらず、フリーランスというには不安定な生活の送り方をしているが、それも肯定したかった。適当な生き方をするのに厳しい世の中だが、もう少しゆるく構えてもいいと思うし、独自の技能を持っている人間はきちんと尊重されるべきだという当たり前の話だ。

ニカフは、強くならなければならないと思っていた頃の自己投影が多分に含まれている、と思う。一度失ったものをそのまま取り戻そうとすることは無理だ。しかも、そのがむしゃらさを外に出すということは、弱さを見せることに繋がってくる。

いちばん共感できるのはニカフなのだ。どのキャラクターも私が書いたので、共感できるに決まっているのだが、それでもやっぱりニカフの尖る方向に引っ張られていく様子は私にとって共感できるものだ。そして、私が避けたいと思っている部分だ。

ここまで書いて、物語を書くと、結局自己開示になってしまうのだということがわかった。自分を広げて、いったん外に出して、厚みを持たせて、それで世界を殴りに行く、変えに行くということをしたいんだと思う。ストーリーラインとしてはごくささやかなもので構わないのだが、そのささやかさをもって世界に波及したい。

改稿してもう一度出してみようかな、と思う。この話が好きだ。

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