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白い手のグレモリー/または桃髪のイゾルデ

メギド72 3周年おめでとうございます。現在時刻は12月6日23時15分すぎ。カウントダウンのメギラジオを流しながらこれを書いています。
比喩や冗談ではなく、メギド72は昨年末からのわたしを救ってくれたゲームです。この記念すべき日に何か書き残したい……と風呂の中で色々と考えた結果、グレモリーさんについて書くことにしました。

ところで今日は何曜日でしょう?

f:id:yawaraka-kinyudo:20201206233309p:plain引き直しの最初のガチャで引いた三人に次いで、グレモリーさんはいち早く加入してくれた思い出深いメギドです。

とはいえ初期からうまいこと使えていたわけではなく、カウンターPT埋め要員として、ときどき敵のフォトンを破壊してくれて便利だな、程度の認識でした。
その印象が変わったのは36-4 ベレト戦。当時は決定打になるアタッカーがマルコシアス以外に育っておらず、防御も乏しく……攻略サイトに紹介されていたシトリーを指名チケットで召喚したものの(そう、年始の〆チケ期間だったのです!)、ボスは倒せても取り巻きが……という状況でした。

正直この辺りで☆6をひとりかふたりつくるべきなのはわかってる……でもでもとにかくストーリーが読みたいんだ!!
先走る心で「#たすけてソロモン王」のタグを使いところ、メギド部さんにいただいたアドバイスが、「フォラスで強化したグレモリー奥義を使い、シトリー(&シャックス)ビリビリチャレンジ」でした。

www.megido72club.com

(メギド部さん、その節はありがとうございました。)

まず驚いたのは「バフも強化を受けるんだ!」ということ、そして「120%カットって……何事?!

アタックダメージに限った話にはなりますが、相手からのダメージを完封できるというのは、初心者にとってはあまりにも大きすぎる。だってグレモリーさんに奥義打たせて、なるべくスキルフォトン取って(=相手にアタック取らせて)いれば絶対勝てるんだもん。やべー。
5章のゴリラにもこれで勝ちました。たしか。

よくスキルのフォトン破壊と低い素早さのかみ合わせが悪い!と指摘されますが、これはすみ分けの問題。敵が2巡目に奥義を打ってくるな……というときに颯爽とフォトンを割っていってくれるのがグレモリーさんです。オーブや余分なフォトンで調整しなくても、確実に2巡目割ってくれるのです。ついでにいうと全部割りたい時にはアンドレアルフス起用して「攻撃は最大の防御」式PTを組むべき。スキル「先陣を切る」があんまり一番最初に来ないところとかもいいんだい。こっちがうまいことやれば負けないので……

グレモリーさんのキャッチコピーは「攻撃強化に全体バリア! 攻防スイッチ型ファイター!
一言セリフは「全体に連携が取れた戦闘は美しいな 緻密に編みこまれたタペストリーのようだ」。

ゲージは(カウンターとしては平均的ですが)4とやや重めであるため、MAXにするまでは少し時間がかかります。(ラウムやティアマトなどで覚醒補助できるとスムーズになります。これも「連携」ですね。)
しかし一度ゲージMAXにすれば、覚醒スキル「突撃命令」(前列アタックバフ)からの奥義「光のヴェール」(アタックダメージ軽減)で、3Tの間は防御方面にフォトンを回す必要がなくなり、PT全体が攻撃に集中することができます。
「攻防スイッチ型」と聞くとCブニのような、防御役としても攻撃役としても起用できるタイプを思い浮かべがちですが、グレモリーさんのそれは、PT全体を「攻撃・防御」にそれぞれスイッチさせる、というニュアンスかと思います。
生放送を見ていると、オ…ケプロが「このターンで仕掛けていきます」とか「ここは溜めていって、次のターンにつなげていきましょう」とかアドバイスしているのをよく聞きますが、グレモリーさんを使っているとその感覚がすごくわかる。メギドって、守りつつ攻撃しつつ弱体も入れて……とやりたいこと取っ散らかってると勝てなくないですか?「全体に連携が取れた戦闘の美しさ」まさにそこに気づかせてくれたという意味でも、わたしにとって非常にエポックメイキングなひとです。

具体的に言うと7章64節や72節、8章序盤なんかは彼女の独壇場ではないでしょうか。最適性のあるキャラがいない……耐久か……となったらまずグレモリーさんを頼っています。

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グレモリーさんには「戦いを避けるわけには行かぬか…」「戦ってばかりでは、余裕を失う一方かもしれん 文化的な生活がしたいよ」などのセリフがあり、メギド72の血の気の多いキャラクターたちの中ではわりあい落ち着いた性格のように聞こえます。

その一方でバトル突入時の「これより制圧する! 派手に切り込もうかっ!」に代表される、戦闘の際のいきいきとしたボイスや、ハルマとの協力関係を疑問視するアジトセリフなど、メギドらしい強硬主義も見せます。

これはおそらくグレモリーさんのメギドラル時代の営みに起因するものです。

貴婦人のような優雅な姿のメギド。彼女はメギドラルにいた頃、自分は戦わないスタンスだった。
野蛮なことは他のメギドがやるだろう、自分は文化的なことを担えばよいのだ、と。
しかしメギドラルを追放されてからの彼女は、考え方を180度改めた。
他の誰でもなく、自分が戦わなければならない。自分が強くなければ、と…

「貴婦人のような優雅な姿」というのは、ネタ元の『ゴエティア』や『悪魔の辞典』の「侯爵夫人の冠をかぶり、ラクダに乗った美女の姿で現れる」という記述によるものでしょう。『ゴエティア』で明確に女性として書かれている悪魔はめずらしく、ほかにはウェパルのみです。キャラクターとしてのバックグラウンドはこの造形表現に大きく依拠していると思われるので、彼女を19C以前の宝石とシルクにあふれためくるめくサロンでの「女性文化」イメージと切り分けて語ることは困難です。
書けば書くほど、門外漢なのがどんどんバレていくでしょうが(……)、本題はあくまで「メギド72の『グレモリー』」に置くことにして、わたしなりに少しまとめてみようと思います。

グレモリーゴエティアでは侯爵の地位を持ち、26の軍団(レギオン)を率いるとされています。軍団(レギオン)とはユダヤ圏から見たローマ軍に由来する、悪霊の兵団で、新約聖書に描写が見られます。これになぞらえるならば、メギドラル時代のグレモリーさんの軍団には軍事をほぼ一任できる共同統率者がおり、彼女自身は文官であったということでしょう。
こういう書き方をすると所詮「夫」の“実力“なくしては身を立てられない……と考えている化石のように取られそうですが、そういう意図でないことは明確にしておきます。メギドラルが武力とその証明で身分を決めている社会であることを考えると、彼女が「戦場とは無縁」という規範から外れた振る舞いを通すためには、ある程度の身分≒武勲を外付けで保証されていると考えた方が無理がないと思われます。
未だ明かされていない追放の理由もこの辺りから想像できそうですね。

文化的なことを担うと言っても、メギドラル時代のグレモリーさんが画家や音楽家、またそのパトロンであった可能性は低いと思われます。アルテ・アウローラの収監が近々まで続いていたことを考えると、彼女がヴィータ由来の「芸術」文化を奨励していたことは考えにくいです。周年イベントでは芸術としての料理に関心を持つ描写がありましたが、あれはあくまでヴィータ転生後であり、彼女は転生後もまた貴族として生活していることが大きいでしょう。

実は、侯爵婦人という造形描写やメギド体からまず真っ先に思い出したのはポンパドゥール侯爵夫人でした。ポンパドールヘアの由来となった彼女はルイ15世の公妾でロココの華とも呼ばれました。夫が「侯爵」であるから「侯爵夫人」なのではなく、彼女個人にその爵位が与えられた、(おそらく)珍しいケースです。かの七年戦争の契機ともなった「外交革命」こと仏墺の同盟関係は、彼女の及ぼした影響が大きいともいわれ、当時の情勢は、仏ポンパドゥール夫人、墺マリア・テレジア、露エリザベート女帝の連帯を総じて「三枚のペチコート」と呼ぶ向きもあります。

この辺りも個人的には、プロイセンひいてはフリードリヒ2世のキャラクター性をわかりやすくするために、関係国を女性が主導していたように書いているだけなんじゃ……と思わんでもないのですが、詳しくない上話があまりにも逸れるので割愛。

19Cヨーロッパの話を引っ張り出してきて何かといえば、彼女は一人で、その体の中で何百年分の女性たちの革命をやってのけたという話がしたかった。対外的なもの、立場ではなく、精神的なものとして。このあたり、適切な言葉で書くことができている自信がありませんが、ともかくやってみます。
転生後のグレモリーさんは特権的地位に生まれたのだと思われます。「これでも召喚される前は余裕のある暮らしをしていたものだ」というアジト内セリフですが、ここでの「暮らし」というのは幼少期から今に至るまでを指すものでしょう。もっと確かな根拠を挙げるならば、「美味礼讃ノ魔宴・前編」にて、彼女が材木商を貴族に推薦できる立場にあるというところです。このくだりで、もし自身も苦労して貴族にまで「成りあがった」というのなら「私も……」と何か一言あってしかるべきです。以上の観点から、グレモリーさんは貴族の家に生まれ、その地位に見合う財産があり、余裕のある暮らしをし、自身から進んで領主となった、前提で話を進めていきます。
(進んで、というよりはそうするのが都合がよく、彼女も反論がなかった、というくらいで想像しています。そこで「女性領主なんて云々」とかあったかもなかったかもしれませんが、テキストには未だ上がってこないので。マムおばさんの例もあることだし。)
質問箱によれば「追放メギドの強さはメギド時代の戦闘経験に由来する」ということなのですが、グレモリーさんは曰く「自分は戦わないスタンス」であり、今でもセリフの端々にその名残が見えます。
しかし現在の彼女は、優秀な領兵団を抱えながら、その兵士の誰よりも強く、領主としての細やかな義務も果たしつつ、日々の鍛錬を怠ることがありません。
グレモリーさんがメギドラルにいたころ全く交戦経験がなかったとは言いません(七章以降読んだ方ならご存じでしょうが、肩ぶつかっただけで戦争、という社会なのです)が、ことヴィータ体でレイピアを持ち戦うようになったのは、どう考えても生まれ変わってからです。
彼女をそう焚き付けたもの(「考えを180度改め」させたもの)、使命感の出どころは具体的には語られていないところではありますが、ともかく終末的な世界に追放されて、当事者として戦いに赴くことを決めた彼女の在り方が、わたしにはとても美しいものに映りました。

細かいポイントながら、グレモリーさんをめぐるメギド72の語り口について、当たり前(であって欲しい)ながらもとても快く思っているのは、彼女の伴侶や子供の有無を、必要性もなしに話題にしてこないところです。「美味礼讃ノ魔宴・前編」でステファーノとジュリアナ(ラウム両親)に対し、二人の息子の状況を説明するシーン……グレモリーさんの方が爵位が上なようなので、そう展開する方がおかしいのですが、それでも「子供を産んだこともないくせに!」という激高がなかったのが本当に嬉しかった。これは2020年最高の映画「燃ゆる女の肖像」を見てしみじみと思ったことです。
オタク・コンテンツでは30を超えた女性(と思われる)未婚キャラクターは未亡人か、子供を失ってるか、のじゃロリみこナースであることが多く、己の人生の主権を他人に握らせたまま、その他者が永遠に失われていがちじゃないですか?でもグレモリーさんはそうじゃないんだよな……。(2020年12月現在)あるいは彼女の本当に大切な人は永遠に失われているのかもしれませんが、だとしても今のグレモリーさんはそれとして主体性を持って生きている、というのがいい。

 

ところでメギドといえば"トンチキピックアップ"が有名ですが、グレモリーさんもたびたびこれに参加しています。有名なのはこのあたりでしょうか?

 とくに後者は後々イベントストーリー内でもいじられたくらいだから、ユーザーには印象深いんじゃないでしょうか。

「春色乙女」について、年齢からネタにされる向きも見ないではなかったけど、そもそも「乙女」っちゅう呼び名はどうなのという気持ちもあれど、可憐なピンク髪のくくりで、この題冠したピックアップに彼女が起用されたことがほんとうに嬉しかった。おしとやかなメギドやかわいいメギドはたくさんいますが、メギドの中でグレモリーさんが一番可憐だと思っています。メギド体も含めて。だって美しいものが好きで食っちゃうなんて……どこまでも徹底的に可憐じゃないか……。

可憐さでいえば、グレモリーさんのヴィータ名(ヴィータとしてつけてもらった名前)は「イゾルデ」といいます。そう珍しい名前でもないのですが、これを聴けばやはり思い起こされるのが「トリスタンとイゾルデ」、その悲劇のヒロインたる、可憐な「金髪のイゾルデ」でしょう。いわゆるもともとケルト系の説話であったものが、イギリスのアーサー王伝説が人気を博すとその系譜にまとめられたという経緯のようです。と聞けば詳しい方は予想がつくと思いますが(その前に詳しい方は大筋をご存じかと思いますが)、「親代わりの恩ある上司の妻(恋人・愛人)と恋に落ちる」系の話です。
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のほうでは削られているのですが、この恋愛劇の特色すべきところは、「イゾルデが二人いる」というところ。マルク王の妃である「金髪のイゾルデ」と、主人公トリスタンの友人の妹、そしてトリスタンの妻となる「白い手のイゾルデ」の二人が登場します。
楽劇には疎く、この二人を重ねるような戯曲やら歌劇やらがどれほどあったものかはわかりません。しかし、最初にこの物語を詠いはじめたどなたかからすれば、いうまでもなく名を重ねたことに意味があるのでしょう。
トリスタンとイゾルデ」に影響を受けたとされる「ロミオとジュリエット」には「あの薔薇を他の名で呼んでも、その甘美な香りに変わりはないのに」というセリフがありますね。これは家と家の対立で引き裂かれる二人が、その名(苗字)から解き放たれても、あなたに向ける私の愛には変わりがない、という意味合いのセリフです。
これを踏まえて逆算的に読み解くならば、「同じ名で呼んでも、金髪のイゾルデと白い手のイゾルデは決定的に違い、トリスタンにとっては二人は全く異なる女性である」ということです。その葛藤の末、トリスタンは結局「白い手のイゾルデ」に触れることはなく戦いの中で死ぬ、というのが鉄板のストーリーになっています。

ところでグレモリーさんが「イゾルデ」という名を持つことにはいったいどういう意味があるのでしょうか。キャラクターデザインや性格設定よりずっとのちにこの名が選ばれた、と仮定したうえでの話になりますが、上記した通り、グレモリーさんは2つの生き方を経験しています。これは多面性という話ではなく、置かれた世界によって、自主的にあり方を変えたという意味合いです。
メギドではときどき彼らの冒険を「大きな流れ」に喩えますね。72話をはじめとし、先日公開の84話でも「大河に流れ込む」とのイヌーンの言葉がありました。
あれ?今日は12月7日じゃなかったっけ?
まあいいや。
「大きな流れ」を「物語」と読み替えるならば、一人の演者が衣装を変え、違う役を演じ分けるように、「グレモリー」の魂はある物語の中にあって全く違うスタンスを持ちます。この象徴として選ばれた名前、それが「イゾルデ」であるというのが私の見解です。
しかしメギドの美しいのは、それがあくまでどちらもグレモリーさんの魂の旅の中にあることをはっきり示してくれるところです。

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追放メギドには、ヴィータとして不遇だったり、メギド時代と比べて精神が窮屈であることを理由に、ヴィータ名を「捨て」るキャラクターも少なからずいます。グレモリーさんが表向きの名を変えた程度で、「イゾルデ」としての生を捨てずに生きていけるのは、それはそれで特権であるという見方もできるでしょう。そうだとしても、自分の経験したことを、「自我」を取り戻せずにいたころも含めて「どちらも自分だ」と言い切れる彼女の優雅さは、高潔で美しい。可憐から話がだいぶずれてしまいました。

「キューティーヴァイオレンスナンバー5」はメンバーがかわいいですよね。ボティスやウァラクさんなどいても良さそうなところを、ウヴァル曰く「戦闘の話ができる」からともにいるメンバー……ラッシュが多めのパーティーで、全員前衛なので、グレモリーさんの覚醒スキルが輝くな、でも回復が薄いからそれはオーブかな……なんて思ったりして。おふざけと思いきや、ウァレフォルとウヴァル覚醒スキルなんて本当に相性がいいし、オセさんもアタックアップで輝く一員だし。
余談ですが年末〆チケ、オセかアザゼルか点穴メンツか……と考えて一覧開いたら、指が滑って召喚済みのBアモンくんを選んでしまいました。まあこんなんなんぼあってもいいんでね … …… …………。

グレモリーさんの魂は美しく、それはメギドのストーリーを追いかけている方ならだれもがうなずいてくれるところだと思います。強く、輝かしく、ときどきお茶目で、ワーカーホリックではあるものの、美しいものを愛する心のゆとりをもった女性。彼女のことを考えることで、わたし自身もより先へ進んでいけるような気がしています。グレモリーさんのコースターがわたしのお守りで、彼女がストーリー内で美しくある限り、わたしもそうあろうと思えます。
リジェネレイトするストーリーが本当に楽しみです。大好きだーーっ!