やわらか金融道

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あなたのことを考えるときに、私たちが考えていること――SWの理念について

おはようございます。

体内時計がぶっ壊れてしまったみたいで、変な時間に目覚めてしまいました。今日はごみを出さなくちゃいけないので、朝の手ならしにこれを書いています。

今年に入ってから、かなりひどいニュースや失言が続いて、それに対する立場を明らかにするために、わたしは専門分野を明かすようになりました。

といってもめちゃくちゃペーペーで、現場で活躍する諸先輩方には本当に生を言えた立場ではありません。なので、逆にペーペーの頃だからこそいえる、元々の定義に立ち返って、わたしたちの立場についてご紹介できればいいなと思っています。

 

わたしは社会福祉分野が主な活動領域です。

福祉というと、高齢者などを対象にした介護等ケアワークをイメージされやすいのですが、そうして実際に触れて介助するのは、介護士さんのお仕事です(もちろん福祉的活動の範囲内ですが、もっと専門性の高いお仕事だと思います)。お仕事としてはもう少し広範なところがメインになります。

ご相談にいらっしゃったひとがどうしたいのか、何が必要なのか、そのためにはどこにお繋ぎするのが良いのか……そう言ったことを考えて、それぞれのケースに合わせて、専用のプランを作ります。

たとえばいじめで苦しんでいる人が、その学校に通ったまま、苦しみを緩和したいということであれば、①学校のケースワーカーさんや相談員さんに連絡を取る、②同じ悩みを持つ人たちのコミュニティにお繋ぎする、③カウンセリングにお繋ぎする、というような感じです。

お悩みを聞き出すためにカウンセリング術の指導は受けますが、あくまでさわり程度のものであって、わたしたちが直接それを解決できるわけではありません。

理念上は、マニュアルがありません(あくまで理念上の話です)。前例に縛られて、適切な情報や手段と目の前の方とを繋げられなくなってしまうほうがよっぽど問題だからです。

ソーシャルワーク専門職のグローバル定義

ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす。ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学、および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける。
この定義は、各国および世界の各地域で展開してもよい。

倫理綱領|日本ソーシャルワーカー協会

わたしたちは、集団的責任において、様々な生活課題に取り組みます。集団的責任というのは、集団の持つ力と責任のことです。つまり、何か困っている人がいれば、それは集団で解決すべき問題だ、その人個人だけの問題ではない――という考え方です。

どうしてわたしがこの記事を書いたのかと言えば、前日インターネット上で問題になった「あの発言」、そしてそれを受け、二次的にこういった発言をしている人をいくつか拝見したからです。

ある種の人々にとっては、たしかに誰かを見捨ててしまう方が得になることもあって、それはたとえば借金を踏み倒せればお得だよねとかそういうこと。

自分がホームレスになったときどうするんだろう。 この社会は持ちつ持たれつでやっているのに。でも持たれることがないほどお金があったらもうそういうこと言えちゃうのかな。

 社会福祉の立場から言えば(あくまでわたしの考えで言えば)ですが、わたしたちは、たとえ凭れかかることがなくても(そういう場合は非常に少ないのですが)、貧困を解消する方法を考え、安心できる場所を提供する仕組みを作り、その情報を届ける必要があります。それは、自分がその立場になり得るからではなく、自分が社会として、その集団に所属している責任があるからです。

いつかの自分かもしれない他人のことではなく、集団という今の自分のことだからです。それを考えて、行動するのが、社会福祉の端っこにいる人間のやらなければならないことだとわたしは思います。

ここのところのニュースを受けて毎日怒っていたら(とっても気づかいは嬉しいのですが)どれに対しても全部に怒ってなくていいんじゃないか、と心配してもらえることがありました。もちろん自分のメンタルヘルスは大事です。時々セーブできなくて、服薬して強制的に落とすこともあります。でも、このコロナ禍でまずできることといえば、毎日の出来事をつぶさに見とめ、声を上げ、発信することだと思います。

だから、社会福祉は同情や共感でまわっているわけではありません。心を寄せるのはとても大切なことですが、もっと自分に近い場所に出来事があります。わたしたちはあくまで当事者として、言える時に言うべきことを言い、できるときにするべきことをしています。

社会全体がより幸福な方に向かうように……というのは過ぎたきれいごとかもしれませんが、それでも、それを願ってやみません。